国鉄 新旭川駅、北旭川駅と石北本線・貨物支線 

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(1)「あさひわ」か「あさひわ」か?

 いきなりで申し訳ないのですが(汗)、配線略図を紹介する前にまずは読み方の整理から入りたいと思います。

 「旭川」のつく国鉄駅で、駅名の読みが「あさひわ」か「あさひかわ」かで整理してみますと、

旭川、新旭川、東旭川は、「あさひわ」

旭川四条、北旭川、旭川大町は、「あさひかわ」

と読んだようです。「あさひかわ」と読む駅は、すべて戦後に開設された駅のようです。

 そして、「あさひわ」と読んだ駅も、分割民営化後の昭和63年3月13日に読みが「あさひかわ」に変更されました。

(蛇足ですが、旭川四条の「四条」は、「よんじょう」でも「しじょう」でもなく、「よじょう」と読みます。)

 旭川大町は、函館本線の近文駅から分岐していた貨物支線の終点にあった駅で、昭和53年10月2日付けで廃止され、現在は存在しません。この貨物支線と旭川大町駅については、私も興味津々なのですが、どこかに資料がころがってないでしょうかね??(笑)

 ところで、「旭川」の読みについて、鉄道管理局とか、機関区は、どちらで読んだのでしょうね?

 さて、このページでは、上記の駅のうち、新旭川駅、北旭川駅、そして、北旭川駅から石北本線・網走方へ分岐していた石北本線・貨物支線について紹介したいと思います。

 すなわち、新旭川〜北旭川間の宗谷本線、新旭川〜東旭川間の石北本線、そして、東旭川〜北旭川間の石北本線・貨物支線で、デルタ線を構成していたようなので、非常に興味深いところだと思います。

 ただ、東旭川駅については、配線略図が手許にありませんので残念ながらここでは紹介できません。ご了承ください。

  

(2)新旭川駅 北旭川駅 昭和56年5月現在

 宗谷本線は、この当時、旭川駅から新旭川駅までは非電化ながら複線区間で、旭川四条駅付近はすでに高架化されていました。そして、新旭川駅で石北本線を分け、宗谷本線の線路も単線となり、貨物駅である北旭川駅へと至ります。

 まずは、新旭川駅の配線略図です。抜粋元の図面集に収められている配線略図には、信号機等の建植キロ程や入換信号機や入換標識は記載されていないようです。

 出発信号機の19Rは、稚内方?それとも網走方?どちらなのでしょうか。

拡大版(ファイルサイズ 192KB)

 次に北旭川駅です。貨物駅ですね。こちらも残念ながら、信号機等の建植キロ程や入換信号機や入換標識は記載されていないようです。

 図面左側、宗谷本線・旭川方だけでなく、石北本線・網走方へ線路が敷かれています。これが石北本線・貨物支線なのですが、開業は、意外にも新しく(汗)、昭和55年10月1日とのことです(ウィキペディア「石北本線」より)。

 ちなみに、石北本線・貨物支線には、もう一つ、網走〜浜網走間(昭和59年2月1日廃止)があるのですが、それはまた別の機会にご紹介できればと思っています。

 残念ながら、北旭川駅の配線図に関してはこれより古い図面が手許にないので紹介できないのですが、この石北本線・貨物支線の開業とともに、下図で、仕訳線の下にある通過列車用の「上下本線」が設置されたようです(ウィキペディア「北旭川駅」及び「旭川駅」より)。

拡大版(ファイルサイズ 335KB)

 

(3)石北本線・貨物支線 配線略図(昭和55年8月26日現在)

 「停車場変遷大事典」などの資料には、北旭川から網走方へ分岐する石北本線・貨物支線について、東旭川〜北旭川間6.2kmとなっています。これは、貨物の営業キロを示すようなのですが、これだけみると、あたかも東旭川で本線より分岐して(新旭川を経由せず)直接、北旭川へと至る6.2kmの貨物支線があったかのように思えますよね。

 しかし、ウィキペディア「東旭川駅」などをみますと、実際は、北旭川を出た貨物線は、宗谷本線としばらく並走した後、宗谷本線と別れ、現在の石北本線・南永山駅よりもかなり手前で、新旭川からの石北本線の本線線路と合流していたようです。

 このことは、国土地理院の航空写真をみても容易にわかりますし、また、石北本線の本線と貨物支線の合流点にはスノーシェルターがあり、貨物支線廃止後も残っていたようで、1990年代に撮影された前面展望映像などをみますと、線路はすでにないものの、スノーシェルター内は単線のスペースよりも広く、ここで線路が分岐していたことがみてとれます。

 そこで気になるのは、石北本線の本線と貨物支線の分岐点が、独立した信号場だったのか、新旭川、北旭川、東旭川の3駅のうちいずれかの駅の構内だったのかということだと思います。

 上で紹介した新旭川駅と北旭川駅の配線略図ではそのことが判然としないのですが、下に紹介する配線略図にその答えがありました。

 下の配線略図をみておわかりの通り、この分岐点は、新旭川駅の構内だったということになるようです。

 この配線略図は、国鉄・旭川車掌区において、昭和55年8月26日付けで作成された単線自動閉そく区間(特殊)、いわゆる自動(B)区間における運転取扱いについての資料からの抜粋で、その資料には、この貨物支線の開業とともに、

宗谷本線 新旭川〜北旭川〜永山間

石北本線 新旭川〜東旭川間

 〃〃  新旭川〜北旭川間 (貨物支線)

の常用閉そく方式が「自動閉そく式、単線(特殊)」と新たに制定される旨、記されています。また、貨物支線の開業は、昭和55年10月1日ですが、上記の資料には、「工事完了区間ごとに順次実施する予定」ともあります。 

 ちなみに、それまでの常用閉そく方式は、宗谷本線の当該区間が「連査閉そく式」で、石北本線の新旭川〜東旭川間では「通票閉そく式」でした。

 さて、配線略図ですが、分岐点部分の場内信号機が、保留式になっている点がやや疑問ですが、これも工事中だからということなのでしょうか・・・?それと、新旭川駅で、宗谷本線を挟んで石北本線とは逆の方向へ分岐する線路は、専用線か何かでしょうかね?昭和56年5月の配線略図では描かれていないので気になりました。

拡大版(ファイルサイズ 631KB)

 

(4)昭和59年2月現在

 こちらは、私のHPで過去に何度か出したり引っ込めたりしている(汗)、北旭川駅の配線略図です。原資料は不明です。よくよくみると、こちらは、線路表示式の入換標識が描かれていますね。

 このあと、石北本線・貨物支線は、1986年11月1日に休止、1987年4月1日に廃止となったようです(ウィキペディア「石北本線」より)。JR北海道に継承されてすぐに廃止されたということなのでしょうかね。なぜ、1987年3月31日付けで廃止としなかったのでしょうか?

拡大版(ファイルサイズ 372KB)

 

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