国鉄 東千葉駅
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(1) 昭和41年3月現在
図中 一点鎖線は、電化された線路、 実線は、非電化・線路、点線は専用線です。また、線路を示す線分を分けている、電気回路のコンデンサーを示すような記号は、凡例より、「架線区分箇所及架線の終端」となります。この記号と線種の違いにより、当時の電化区間の範囲をみることができます。
構内は非電化ですね。旧千葉駅があった場所に、昭和40年12月20日に開業した駅です。千葉駅の新駅移転(昭和38年4月28日)後、約2年半強をかけて整備されたということになります。また、当図面に「東千葉」の駅名記載はありませんでした。「東部信号扱い所」は千葉駅の「西部信号扱い所」に対応するもので、千葉駅の構内ということになるのでしょうか。
連動装置が「第1種電気機甲」とありますが、これは旧千葉駅時代の連動装置の種類と同じになります。
みなさますでにご覧になったことがあると思いますので、あらためてご紹介するまでもないかもしれませんが、昭和38年(?)の旧駅配線略図を、鉄道雑誌等でそのお名前を拝見する機会も多い佐藤信之さんのブログでみることができます。http://raillinks.at.webry.info/200609/article_4.html ご挨拶等はいたしておりませんので、リンクは張らず、ご紹介にとどめさせていただきます。
また、鉄道ピクトリアル2012年6月(863号)「平面スイッチバック」特集の特集記事の一つとして22〜33ページに千葉駅のことが取り上げられており、その22〜23ページに昭和12年の千葉駅の配線略図が掲載されています。
それらと比較するとわかるのですが、下図で図面上、旧駅の名残をとどめている場所の一つとして、第201号転てつ器から分岐する「材修場線」があります。
戦前の鉄道連隊時代の線路を引き継ぎ、昭和59年まで国鉄のレールセンターへの側線(千葉駅の構外側線?)として存続してきました。
レールセンターの構内配線は、 f54560zg さんの「懐かしい駅の風景〜線路配線図とともに」の「1975 千葉・東千葉」の記事中で取り上げられております。
一方、千葉局の折本式線路図では、私の手許にある昭和41年、48年、50年の線路図には、残念ながら、その構内配線までは含まれていませんが、インターネットオークションにも出品されたところを目撃したことがある「線路図 第2篇 総武本線(千葉・銚子間)成田線 成田支線 東金線 昭和29年」には、レールセンターの構内配線とともに、この側線の勾配・曲線のデータも記載されているようです。
また、書籍・雑誌の記録としては、
1、「編集長敬白」 (名取紀之 ネコパブリッシング 2008年6月20日初版発行)の「遥かなり千葉鉄聯」28〜35ページ
(インターネット上のアーカイブコンテンツとしては、http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2005/12/post_138.html 及び http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2005/12/post_139.html )
2、「鉄道ファン」 1985年12月296号 「鉄道聯隊の見える街 文・写真 臼井茂信」 90〜99ページ
3、「鉄道ピクトリアル」 1996年6月622号 「<特集>新京成電鉄50年」 特集記事「全線開通までの新京成電鉄 石本祐吉」 より「8、それ以外の旧軍用鉄道線」49〜50ページ
などでしょうか。特に上記3は、昭和44年4月19に撮影された千葉材修場から国鉄・千葉駅へ戻る事業用列車の写真が、50ページに掲載されております。
以下が、千葉鉄道管理局運転取扱基準規程(昭和40年4月 千管達第13号 別冊)より抜粋したこの側線の運転取扱方です。
第6章 特殊取扱い
(千葉材修場線の運転取扱い)
第97条 千葉駅分岐千葉材修場線の運転取扱方については、次の各号によるものとする。
(1) 車両の出入時刻は、駅長と材修場長と協議して設定する。駅と材修場間の運転は入換えの方式による。
(2) 入換速度は1時間15km以下とし、往路は推進、復路はけん引運転とする。
(3) 機関車により入換えを行なう場合、材修場内の転てつ器の取扱いは駅長が担当する。
(4) 往路の場合は、正門守衛詰所前に、また復路の場合は第201号転てつ器手前にそれぞれいったん停止する。
拡大するには下図をクリックしてください。(ファイルサイズは、983KB)
<構内運転区間> 日本国有鉄道関東支社 運転取扱基準規程 (昭和41年3月関東支達第2号)
第2章 運転 第3節 構内運転 第46条 (構内運転区間等の指定) 別表第1 (3)千葉鉄道管理局管内 より
東千葉駅の記載はありません。