国鉄 横川駅(可部線)

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(1)昭和35年12月1日現在

 残念ながら、手許にある図面には、山陽本線部分は描かれておりません。

 RM LIBRARY211「可部線 波乱の軌跡」(長船友則著 ネコ・パブリッシング 2017年3月1日初版発行)の25ページ掲載の横川駅の配線略図(改良前)を参考にしますと、当時は、横川電車区と並んで山陽本線の旅客ホームがあったようで、下の図面上にある「列車停止標識」の先で合流している線路が、当時の山陽本線の4番線(上り副本線)だったようです。

 そして、4番線と合流した線路は、すぐに3番線(上り本線)と合流しており、下図面の「列車停止標識」の先、線路を分岐した先のところに、出発信号機と思われる信号機が建植されていたようです。こちらは、鉄道ピクトリアル1997年11月号(No.645)「宇部・小野田/可部/福塩線 特集号」の30ページ下段掲載の写真を参考にしました。 

 可部線から山陽本線への「連絡線」と横川電車区(横川電車庫)への出入線との平面交差がなかなかダイナミックですが、14m、15m、15ロがよくわかりません。mは、そうみえるだけで、転てつ器の定位方向を示す「毛羽」でしょうか。そうだとしても、15がよくわかりませんね。15mと見える方が15イだとして、15ロと記されている交叉の方は、固定式ではなく、可動式だったのか、それとも、なにか特殊な装置でもあったのでしょうか、気になるところです。 

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 当時の可部線の常用閉そく方式は、昭和42年12月21日現行の中国支社運転取扱基準規程を参考にすると、横川〜可部間が「通票閉そく方式」、可部〜加計間が「票券閉そく式」となっております。

 

 昭和35年12月当時、すでに工事が始まっていたか否かは不明ですが、その後、横川駅では、太田川放水路改修に伴う高架化工事が施工され、昭和37年10月1日に、可部線の横川〜安芸長束間が新線に切り替えられ、可部線高架仮ホームの使用が開始されたようです(高架ホームの本使用開始は同年12月1日から)。また、山陽本線関連では、上り線の高架化が昭和38年6月、下り線の高架化が昭和38年12月、駅全般の高架化完了が昭和39年3月となる計画で工事が進められたようです。(上記「可部線 波乱の軌跡」24ページより

 ところで、「可部線 波乱の軌跡」24ページに掲載されている、高架化後(改良後)の横川駅の山陽本線側の線路配置をみると、上下線とも外側に副本線を持つ2面4線の線路配置となっております。これは、次にみる昭和51年4月1日現在や分割民営化後最近までの線路配置とも違っています。 

 下り本線側の旅客ホームをみると、山陽新幹線の高架がなければ、両面使用も可能なように見えなくもないようで・・・(汗)、横川駅高架化後、山陽新幹線の工事が始まるまでの間、横川駅で山陽本線部分が2面4線であった時代があったのでしょうか?

 

(2)昭和51年4月1日現在(山陽本線の線路図より)

 残念ながら、昭和40年代の配線略図は手許にはありませんので、昭和51年の図面となります。

 この間、電車区(電車庫)の方は、昭和37年10月4日に車輛23両および検修要員が広島運転所に移管されたようです(「可部線 波乱の軌跡」46ページ年表)。

 そして、昭和44年7月27日に加計〜三段峡間が開通しています。

 常用閉そく方式は、昭和51年4月1日現行の広島鉄道管理局運転取扱基準規程を参考にすると、

横川〜可部間 通票閉そく式

可部〜加計間 票券閉そく式

加計〜三段峡間 連動閉そく式

となっています。

 「加計〜三段峡間 連動閉そく式」というのは、ややクエスチョンマークをつけたくなります。

 昭和45年12月1日現在の「運転計画用 鉄道線路図」(日本国有鉄道運転局発行)の裏面の「運転便覧 昭和46年3月末日現在」をみますと、加計〜三段峡間は、「非電化、自動信号化区間」となっています。 

 また、上記「可部線 波乱の軌跡」の29ページには、加計〜三段峡間の開通について、「経営の近代化の面から、自動進路制御装置を有する遠隔制御方式を採用、加計〜三段峡間のすべての信号を加計駅で操作し自動的に列車の運行を制御した。」とあり、加計駅に設置された加計〜三段峡間の「継電連動機制御盤」の写真(開通記念パンフレットより)も掲載されています。

 さらに、昭和53年3月現在の「運転計画用 鉄道線路図」(日本国有鉄道運転局発行)裏面の「国有鉄道閉そく方式一覧図」をみますと、加計〜三段峡間は、「自動閉そく式」となっています。

 今後紹介予定の昭和54年の線路図にある加計〜三段峡間の図面をみますと遠方信号機が建植されており、それもあわせて考えますと、設備上は、開業時より、単線自動閉そく(特殊)施行区間同等だったのだが、制度上はある時期まで「連動閉そく式」に分類されていたのかもしれません。(吉備線と同様の経緯でしょうか?)

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 その後、昭和55年9月24日に横川駅での社扱貨物の取り扱いが廃止され(ウィキペディア「横川駅(広島県)」より)、可部線の貨物列車も昭和58年いっぱいで廃止されたようです(上記「可部線 波乱の軌跡」47ページ年表より)。 

 

(3)参考図面 新会社 平成9年4月1日現在(山陽本線の線路図より)

 平成3年3月7日に横川〜可部間が、同年8月7日に可部〜加計間が、自動信号化され、一方で、平成8年3月16日には、加計〜三段峡間がスタフ使用に切り替えられます(上記「可部線 波乱の軌跡」47ページ年表より)。

 現在は、山陽本線から可部線への分岐部分が複線化されていますが、それは、平成26年12月8日まで待たなければならず、下の図面では、まだ単線分岐のままですね。

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