国鉄 下関駅
(1)昭和35年12月1日現在(2020年(令和2年)11月25日追記)
かなり立派だったのではないかと推察されるラウンドハウスを備えた転車台が印象的な図面です。 いつ頃まで存在したのでしょうか。
残念ながら、貨物関係の専用線は、図面上、省略されているようです。
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ところで、図面に散見される下図のような転てつ器の記号ですが、普通転てつ器のうち、轍叉可動式のものを示すようです。
石本祐吉さんのご著書「線路観察学 アグネ技術センター 2008年10月31日発行」の86ページの説明を参考にさせていただくと、普通転てつ器の可動轍叉には、ウイング可動式とノーズ可動式があるのですが、今回の図面におけるものは、時代的にウイング可動式ということになるでしょう。
戦後一時国鉄線で使用されたことのあるウイング可動式の轍叉は、
https://w.atwiki.jp/wabu/pages/47.html#id_430109f7
の第93図のような形状のもののようです。
運転関係の線路図の凡例でも、作成年代が、昭和40年代頃までの図面に含まれる凡例では、この記号をみることができる場合があるようです。
門鉄局作成の図面です。高架駅部分のみで地平部分は省略されています。
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地平部分も描かれている賑やかな図面です。昭和39年10月1日の廃止まで存続していたという「関門連絡船(旅客)」というのは、どのへんから発着していたのでしょうかね。
細江・唐戸貨物線の懐かしい風景は、「下関今昔」というサイトでみることができるようです。
http://www13.plala.or.jp/ja4efe/page042.html
http://www13.plala.or.jp/ja4efe/page043.html
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門鉄局作成の図面です。高架駅部分は、ほとんど変わっていないということでしょうか。高架駅になったのはいつ頃なのでしょうか?関門トンネル開通前の駅の配線図というのも気になりますね。
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(5)昭和55年4月1日現在(山陰本線関係 広島鉄道管理局作成)
残念ながら、線路図に下関駅は含まれていませんでした。同時代の国鉄・幡生駅へ行く。
細江・唐戸貨物線はすでに廃止されてしまったようです。昭和59年2月改正後の図面ですので、描かれている貨物線がどの程度使用されていたか気になるところです。
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地平部分が気になるところですが、九州総局作成の図面ということで、描かれていません。高架部分に変化はなかったようですね。
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国鉄時代最後ということなので、関門トンネル区間もみてみましょう。関門トンネル区間は、単線2線が並列している双単線区間ですね。上下線とも、上下方向に閉そく信号機が5基ずつ建植されているようです。「下下」「下上」「上上」「上下」と、まるで数学の行列記号の添え字のような感じで、目がチラチラしてきますね(汗)。
やや古くて恐縮ですが、昭和42年11月現行の西部支社運転取扱基準規程をみますと、山陽本線・下関〜門司間の常用閉そく方式は、「自動閉そく式 複線 又は 単線」となっています。
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図面右端、広島支社とJR九州の会社境界が、国鉄時代最後1987年3月の局界よりも、112メートルほど神戸寄りになっていますね。1987年3月の時点で、新会社移行に備えて、局界等を移設したと言われていますが、ここは1987年3月の時点では、特に移設等はしなかったのでしょうかね。
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