国鉄 宇部駅 

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(1)昭和51年4月1日現在

 同一年月の宇部線の線路図は、残念ながら手許にはないのですが、宇部駅は当然ながら広島局の山陽本線の線路図に含まれていますので、まずは昭和51年4月1日の図面からの抜粋です。

 山陽本線の宇部〜小野田〜厚狭間には、宇部・小野田線と美祢線間を行き来する貨物列車のための単線が、山陽本線の上下線の他にあり、3線区間となっていました。貨物列車だけでなく、例えば、宇部線などからのローカル列車がこの単線を走る運用があったのかどうか気になるところですね。

 この増線部分の単線の開業は、1968年(昭和43年)9月21日(ウィキペディア「山陽本線」より)とのことです。まさに昭和43年10月ダイヤ改正に向けた設備増強のためだったのだと思います。ちなみに、この増線部分の廃止は、分割民営化後の1997年(平成9年)3月31日だったようです(ウィキペディア「山陽本線」より)。 

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 さて、この単線なのですが、広島局の運転取扱基準規程上(昭和51年4月1日現行)では、山陽本線(直通線)となっていて、昭和51年4月1日現在の常用閉そく方式は、非自動の閉そく方式である「連動閉そく式」だったようです。

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 配線略図に戻り、出発信号機の配置をみますと、宇部駅の1〜3番線からは山陽下り線と直通線、両線への進路がとれたようです。3番線は、山陽本線の下り副本線のようですが、小郡方で宇部線とは線路がつながっていません。3番線から直通線へ進出するのはどのような列車だったのが興味深いところです。 

 一方、直通線からは、1、2番線へ進路がとれるようです。線路配置だけみれば、直通線から山陽本線の上り方面の5、6線への進入も可能なようですが、信号配置上は、そうなっていませんね。

 ところで、1〜3番線から直通線への出発信号機54RN、55RN、56RNですが、それぞれ保留現示の半自動信号機(2現示)となっています。下に出発信号機54Rを抜粋してきました。

 54RLは、1番線から山陽下り線への出発信号機です。一方、54RNが1番線から直通線への出発信号機です。

 54RNの信号機の記号をみますと、記号の円の内側、中心角90度の扇形に対応する弦と孤で挟まれた部分が2か所黒塗りされています。この2か所のうち、図上、下側の部分が黒塗りされていることが、54RNが保留現示の信号機であることを表しています。

(注 下図では「下側の部分が黒塗り」ですが、配線略図の凡例などで、信号機のシンボルが縦に記載されている場合は、「右側の部分が黒塗り」になります。念のため(汗)。) 

 保留現示の信号機とは、進行を指示する信号現示が、列車または車両により停止信号現示となった後は、そのてこを定位に復し、更にこれを反位にするまでは引き続き停止信号を現示する信号機のことです。(信号設備施設基準規程 昭和46年3月改正 電達7 別表第一(第2条)より)

 すなわち、列車または車両が、その信号機の防護区域を通過し終えても、停止信号を現示したままで、そのままでは進行信号を現示することはないわけです。

 54RNの場合でいえば、宇部駅1番線を出発した列車が、次の小野田駅に到着しても、54RNは、仮にそのてこを反位のままにしてあったとしても、停止現示から進行現示になることはないわけです。

 一方で、連動閉そく区間では、出発信号機の内方には連続した軌道回路が設備されていて、次の停車場の場内信号機までが1閉そく区間となっているわけで、その軌道回路により出発信号機の信号現示が制御されれば、保留現示にする必要はないのではと思うこともできます。

 しかし、ここが自動区間と非自動区間の異なるところで、(非自動区間である)連動閉そく区間では、自動区間の進行定位の信号機とは異なり、列車のつど閉そくを行い、出発信号機を扱うことを建前としているので、それを設備上具現化するため、保留現示の信号機としているのだそうです。((※)「改定 信号設備施設基準規程 解説 社団法人 信号保安協会 改訂版 昭和47年9月30日発行」より第12条(連動閉そく装置)の解説の5 23ページを参考にしました。)

 

 信号機シンボル上のもう1か所の黒塗りについても触れておきたいと思います。実は、こちらはその理由がよくわからないのです・・・。

 上図において、54RNの信号機を示す円の左側の部分も黒塗りされています。これは、54RNに現示時素が付されていることを表しているのだと思います。

 私自身が配線略図上でこの現示時素が付された信号機のシンボルをみた例としては、出発信号機の内方すぐ近くに踏切がある場合、その出発信号機が現示時素付きの記号になっている時があるのです。

 このような例の場合、大雑把なイメージですが、踏切の鳴動開始がその出発信号機と連動していて、出発信号機のてこを反位にしても、踏切の警報が鳴り始めてから踏切の安全が確保されるまでの一定時間だけ時素を刻み、出発信号機の現示が進行になるのを遅らせるタイマーのような機能が付されている出発信号機ということになります。

 「信号設備施設基準規程」(昭和46年3月改正 電達7)にも関連条文がありますので、以下に抜粋しておきます。

(出発信号機の附近にある踏切の制御と取扱い)

第25条の4 出発信号機の附近にある踏切のしゃ断機等が出発信号機のてこを介して間接制御される場合は、必要に応じて進出した列車が踏切に到達するまでの時分に応じた時素をその信号機の現示の制御に設けるものとする。

 この条文に関連して、上掲の基準規程解説書(※)の239ページには、このことが制度化される以前は、「警報制御は出発信号機を反位にしたことにより、列車は出発合図器により進出させる方法により警報時分の不足を補ってきた」と解説されています。

 長くなりましたが、ここで宇部駅の配線略図をみますと、直通線への出発信号機54RN、55RN、56RNは、すべて現示時素が付された出発信号機となっているのですが、直通線と山陽下り線への進路を最終的に分ける205イ号分岐器の先、直通線上に、踏切があるような図面上の記載は見当たりません。

 そのようなわけで、54RN、55RN、56RNが現示時素が付された出発信号機となっている理由がよくわからないのです。

 構内踏切のようなものが直通線上にのみあるのでしょうか?または、踏切とは全く関係のない理由で現示時素が付されているのでしょうか?さらにまたは、単なる誤植なのでしょうか?

 

(2)昭和55年4月1日現在

 宇部線の線路図からの抜粋になります。

 直通線への出発信号機が保留現示から非保留現示になっています。昭和51年4月1日〜昭和55年4月1日の間に直通線の常用閉そく方式が、連動閉そく式から、単線自動閉そく式(特殊)になったようですね。

 直通線への出発信号機にあった「現示時素」もなくなりました。なぜ、「現示時素」が付されていたのか?謎は深まりますね〜。

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(3)昭和59年12月6日現在

 山陽本線の三原〜下関間がCTC化された時の線路図です。図面の真ん中あたりがちょうど線路図の折本の「のりしろ」の部分になっていて、一部記号等がわかりずらくなっていますが、ご了承ください。

 現示時素付き出発信号機にこだわりますが(汗)、今度は、4番線から山陽下り線への出発信号機57Rにのみ「現示時素」が付されています。謎が深まりますね〜。

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(参考)新会社 平成9年4月1日現在

 分割民営化後、くしくも直通線廃止翌日付けの線路図です。

 図面上、直通線は一点鎖線で描かれています。凡例をみますと、一点鎖線は「使用停止中線路」を表すようです。廃止直後ということもあるのでしょうか、線路はまだ残っていたということのようです。よくみると、分岐器205イ、もとい、分岐器205ロも描かれていますね。いま気がついたのですが(汗)、渡り線の双動の分岐器205のイ、ロの記号が、昭和51年と他の年代では、逆になっていますね・・・。

 一方、直通線への出発号機は、図面上、完全に消されていますね。廃止前、この直通線がすでに使われていなかった期間がかなり長かったのでしょうか。

 ところで、「現示時素」の謎は、分割民営化後も持ち越されてしまったようで・・・。あらためて、4番線出発信号機の57Rに現示時素が付加されている理由が気になります。 

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