国鉄 宇部新川駅

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(1)当時の宇部駅 昭和35年12月1日現在 (2020年(令和2年)11月22日追記)

 宇部新川駅の掲示板スレッドで、

http://senrozu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7866666#16580493

3RT生さんから宇部新川〜居能間に閉塞信号機は建植されていたのか?という宿題をいただいたままになっていたのですが、幸運なことに昭和35年の線路図を入手することができまして、それをみますと、閉塞信号機が建植されていましたので、その図面を紹介したいと思います。

 ちなみに、居能〜岩鼻、岩鼻〜西宇部(現在の宇部)間には、自動区間ではありますが、遠方信号機が建植されており、閉塞信号機は建植されていませんでした。また、東新川〜宇部(宇部新川)間(非自動区間)は、当時、遠方信号機は建植されていなかったようです。

 この閉塞信号機は、昭和55年の図面(2)をみるとありませんので、撤去された時期やその理由、さらに、当時の宇部線の他の自動区間に、閉塞信号機が建植されていた時代があったのか否かなど、興味深いと思います。

  拡大図はこちらをクリックしてください。(サイズ 812KB) 黒色一色刷りの図面で、2点鎖線が電化されている線路を表します。

 

(2)昭和55年4月1日現在

 宇部線・小郡〜宇部新川間の常用閉そく方式が通票閉そく式、宇部新川〜宇部間のそれが単線自動閉そく式(特殊)だった時代の図面です。

 宇部電車区は宇部新川駅から1.5km離れた地点にありました。駅と電車区を結ぶ線路は、かつての宇部線の本線で、電車区のあった場所には「藤曲」という駅があったようです。

 これらの歴史的経緯は、複雑なのですが、鉄道ジャーナル2019年6月号(No.632)の142〜143ページにおいて、岩成政和さんが、

「鉄道史の断面 戦中戦後に結びついた本州最西端の3支線」

という記事を書かれており、そこで詳細かつ簡潔な解説がなされていますので、ここでは省略したいと思います(汗)。

 

 

 

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