国鉄 米原駅

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(A)国鉄 米原駅 配線略図 昭和41年12月1日現在

 以前に(B)で紹介した昭和56年3月現在の配線略図と線路配置の骨格となる部分はほとんど違いがないようです。わら半紙1枚の資料ですが、2分割して紹介します。

(a)東京方〜駅本屋

 興味深いのは、北陸本線の場内信号機の外方にある「遠方信号機らしき」信号機です。

 記載ミスかとも思いましたが、実はこの信号機、遠方信号機に間違いないようなのです。もちろん、102Rは、小括弧でくくって、(102R)と記載するのが正当ということになります。

 昭和40年3月現行の「中部支社運転取扱基準規程」をみますと、北陸本線の米原〜余呉間の常用閉そく方式は、自動閉そく式(複線)なのですが、小括弧のついた但し書きがあり、

ただし米原、木の本間は、閉そく信号機を設けずに遠方信号機を設ける。

とありました。

 どうやら、昭和20年代後半〜昭和40年代初頭の国鉄において、複線自動区間で遠方信号機が設けられるケースがあったようなのです。これについては、もう少し記したいのですが、長くなりますので、後日「閑話休題」で採り上げたいと思っています。

 ただ、それでもまだ疑問が残ります。まず最初は、北陸本線の出発信号機が「保留式」になっている点です。そして、もうひとつは、北陸本線の件の遠方信号機の記号です。

 この記号、誤記なのでしょうか?それとも、特別の意味をもった記号なのでしょうか?私の勉強不足なのか、私の手元にある資料や参考書類には、この記号が載っていないのです。

 私がいつも拝見して勉強させていただいているf54560zgさんのブログ「懐かしい駅の風景〜線路配線図とともに」に掲載の配線略図にも、遠方信号機としてのこの記号をいくつかみることができます。

 例を挙げますと、

「姫路配線図」

http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-2bbf.html

に掲載の1958年(昭和33年)4月、1966年(昭和41年)3月の配線略図中、姫新線の遠方信号機、

「岡山配線図」

http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-872c.html

に掲載の1958年(昭和33年)4月の配線略図中、宇野線の遠方信号機、及び、1966年(昭和41年)3月の配線略図中、宇野線と吉備線の遠方信号機、

「相生配線図」

http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-9d49.html

に掲載の1958年(昭和33年)4月の配線略図中、赤穂線の遠方信号機、ただし、この記号はどうみても「第一場内信号機」にしかみえないのですが、「遠方」の記載があるのです、

などとなります。

 上記の記号についてご存じの方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただければと思います。

拡大版 (ファイルサイズ 2.66MB)

(b)操車場〜神戸方

拡大版 (ファイルサイズ 2.45MB)

 

 

(B)国鉄 米原駅 配線略図 昭和56年3月現在

 国鉄・名古屋局管轄下にあった時代の配線略図です。大判の配線略図を縮小ガリ版刷りにした図面のようです。

 図面に記載はありませんが、東海道本線・神戸方・東京起点450km500mの地点に、大阪鉄道管理局との局界があり、そして、北陸本線・直江津方・米原起点1km250mの地点に、金沢鉄道管理局との局界がありました。

 大阪鉄道管理局との局界は、国鉄分割民営化を1か月後に控えた1987年(昭和62年)3月1日に、東京起点444.0km付近に移設され、米原駅は、大阪鉄道管理局管轄の停車場となり、その後、JR西日本管轄の停車場となります。

 ところで、図面ですが、新幹線の保線区にある、在来線側から延びる線路と、新幹線側から延びる線路の結節地点にある設備が気になりますね・・・。 

拡大版 (ファイルサイズ13.4MB)

 

(B−2)乗務員携帯用運転時刻表(スタフ)にみる停車場構内線路呼称の変化 〜米原駅編〜  

 米原駅構内の運転取扱上の線路呼称は、名古屋局時代は、「線路名称主体」で、大阪局〜JR西日本の管轄となっても、名古屋局時代のままだったようです。しかし、構内の線路整理整備が進んだ平成9年頃からは、旅客駅部分の線路呼称が「線路番号主体」となったようです。(もちろん、現在の米原駅の線路配置は、上図とは大幅に異なります。)

 下にある平成元年と平成9年に使われたと思われる乗務員携帯用運転時刻表(スタフ)をみると、米原駅(旅客駅部分)の線路呼称の変化がみてとれると思います。

 残念ながら列車も違い、時代も8年空いているので、変化した正確な時期等はわからないのですが・・・。また、線路配置が変化していますので、平成元年の着発線「北陸上り本線」が平成9年には「4番線」になったということではありません。スタフ作成の原本ともいえる「列車運転時刻表」の「運転手続」の項をみると、線路呼称の変化がもっと明確にわかるのですが、それはまた別の機会にしたいと思います。 

 

 

 

 

 

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