閑話休題003 1982年(昭和57年)の上野駅で撮った写真 その1 

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 私KASAが、よく拝見・拝読させていただいているf54560zg さんのブログ「懐かしい駅の風景〜線路配線図とともに」の

2019年10月6日の記事 「上野 2012/3/31 その4」

のコメント欄で、上野駅16番線・尾久寄りのホーム先端に15番線からの渡り線があった頃、16番線ホームの尾久寄り先端に柵はあったのか?ということが話題になりました。

 それに関連して、私が横から割り込みまして(汗)、その渡り線がまだあった1982年頃、私が上野駅で撮った写真を何枚かご紹介したいと思います。

 ここで紹介する写真のすべては、当時、高校2年生だった私が、コンパクトカメラで撮影し、写真屋でプリントしてもらったものを、後に家庭用のスキャナーでPCに取り込んだものです。

 

(1) 上野駅 配線略図 昭和55年(1980年)3月現在 及び 平成2年(1990年)1月10日現在

  昭和57年の配線略図があればいいのですが、残念ながら、手許にはないので、昭和55年と平成2年の地平駅部分の配線略図を、まずはご紹介したいと思います。

(イ)昭和55年(1980年)3月現在

 一見、とても詳細な配線略図のようにもみえるのですが、引き上げ線部分にあったのではないかと推測される入換信号機や、東北・地平線が高架ホームからの線路を潜るあたりにある片渡り線の分岐器番号などが省略されています。

 20番線まであった時代の図面ですが、これから紹介する写真は、20番線がすでに廃止になった時代のものです。件の15番線から16番線への渡り線とは、図中の「77イロ」のことですね。

拡大版(ファイルサイズ 900KB)

(ロ)平成2年(1990年)1月10日現在

 地平ホームの各番線と引き上げ線〜留置線間の入出区に関する資料からです。

 19番線も廃止され、18番線までの時代です。地平東北下り本線と上り本線との間にある一番青森寄りの片渡り線は、高架ホームからの線路の跨線橋の下に完全に隠れてしまっているようで・・・(汗)、記載されていませんね。

 地平各番線からの入換信号機は3進路あるのですが、その一つは北部引き上げ線だとして、残りの2進路はどこへの引き上げに対応しているのでしょうね。

拡大版(ファイルサイズ 1.69MB)

(2) 国鉄・上野駅 16番線ホーム 青森方・先端部 1982年4月撮影

 日付を記録していませんでした・・・。

   15番線側からの渡り線が16番線に合流するところは16番線ホームにかかってしまっています。16番線の出発信号機はこの写真を撮っている位置よりももっと手前にあるらしく写真には入っていませんね。  

 もう少しさがってもう一枚とっておりました。しかし、肝心の分岐器の全体像は撮影していませんでした・・・。

 もう一枚ですが、なんか、当時の「撮り鉄」さんたちの後ろ姿を撮っているようですね。ホーム先端部に柵はなかったようです。本来は立ち入り禁止だったのでしょうかね?この写真を見直すまで、柵があったか否か、全く記憶にありませんでした。

 長いホームの先端の旅客の乗降などに使われなくなった部分に柵を設え始めたのは、主にJRになってからではないでしょうかね。そういえば、私が現在よく利用しているJR松戸駅の下り緩行線ホーム(4番線)も15両対応の快速ホーム(3番線)と同じプラットホームを使っている関係で、取手方が乗降には使われないのですが、その使われていない部分に柵ができたのは、上野東京ラインが開通する直前だった記憶があります。ずいぶんと最近なんですよね。

 17番線側ですね。18番線よりひたち号が出発していったようです。この当時は19番線まででした。すでに新幹線上野地下駅の工事が始まっていたようです。

 

(3) 国鉄・上野駅 16番線ホーム 地平ホーム終端部方(東京方)を望む 1982年4月撮影

 時間は午後1時過ぎ頃から撮影していたのですが、列車名、号数の記録はしていません。時刻表をみればいつでも確認できると思っていたからだと思います。

 今度は、終端部の方をみて撮影です。左上に16番線の出発信号機の進路表示機の裏側が写っていますね(汗)。

 

 

 

(4) 国鉄・上野駅 19番線ホームの「ひたち13号」 1982年4月撮影

 上にも書きましたが、すでに20番線はホームとともに完全になくなっており、新幹線地下ホームの工事が始まっていたようです。

 

(5) 国鉄・上野駅 19番線ホームの「やまびこ1号」 1982年6月6日撮影

 記録によるとこの日は日曜日だったようなのですが、早朝の上野駅でやまびこ号を撮影しました。

 今となっては、お隣15番線の「つばめ号」「かもめ号」の方が気になりますね(笑)。

 

(6)国鉄・上野駅 16番線ホームで撮影 1982年11月6日

 この年は、11月に2度ほど上野駅に訪れていたようです。

 恥ずかしいのですが、子供たちに混じって、折り返しのためのヘッドマーク転換中に撮影しました。もちろん、「特急 白鳥号」ではありません。青森運転所の485系なのでしょうね。

 記録によれば、「はつかり7号」とあります。

 

(7)国鉄・上野駅 16番線ホームで撮影 1982年12月31日

 昭和57年の大晦日です。東北・上越新幹線ともに大宮開業し、多くの在来線特急が上野駅から姿を消した後の上野駅です。

 記録によると「あさま13号」とあります。当時の私にとっては、信越特急である「あさま」が地平ホームにいること自体、たいへん新鮮なことでした。

 ご存じのように、昭和48年4月以来、上野駅の昼行の特急列車に対する旅客ホームの使用方は、東北・奥羽方面がおおむね地平ホーム発着、上信越・羽越方面がおおむね高架ホーム発着、常磐線は両方となっていました。そして、この使い分けは、当時の私にとって、なかば「常識」となっていたのです。そのため、地平ホームの「あさま号」は、当時の私にとってたいへん新鮮に思えたのです。

 東北・上越新幹線大宮開業後の上野駅の新顔。上越・羽越線回りの青森行「鳥海」も16番線発着だったのですね。列車の案内掲示板に番線が入っていませんが、これは新幹線開業時に更新されたのでしょうか?

 

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