豊岡町駅

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(1) 昭和30年代(推定)

 ネットオークションで一冊入手できた西武鉄道の「信号線路」の教科書からの抜粋です。巻末に、国鉄の信号関係の教科書でよくみかける連動図表の例題の他、当時の西武鉄道のいくつかの停車場の連動図表がついておりました。所沢、飯能、吾野、下原貨物駅といったところもみたかったのですが、残念ながらはいっていませんでした。

 この教科書には、発行年月が入っていないのですが、教科書本文・第5章「閉そく装置」の第3節「タブレット閉そく式」の解説の中で、

「タブレット閉そく式は単線区間(豊島線を除く)に使用されている閉そく方式であって、・・・以下省略」

とありますので、「写真で見る西武鉄道100年(2013年7月19日 ネコパブリッシング発行)」の巻末年表などと照らし合わせてみますと、昭和30年代に使われていた教科書ではないかと思われます。

 豊岡町駅に関しても、上記の年表から、

昭和40年4月1日 武蔵藤沢〜豊岡町(入間市)間 自動閉塞使用開始

とあり、一方、教科書本文では、豊岡町駅を挟む区間の両方向のタブレットの種類が解説されていますので、今回ご紹介の連動図表は、少なくとも、昭和40年4月1日より以前の豊岡町駅の連動図表ということになります。

 ちなみに、武蔵藤沢〜下原(貨物駅)〜稲荷山公園(当時は1面1線、「閉そく区間の中間停車場」)〜豊岡町駅間は、タブレット閉そく式の特殊取扱が実施されていた区間で、この教科書によると、武蔵藤沢駅には2機のタブレット閉そく機があり、1機は武蔵藤沢〜下原駅間用(第1種)で、もう1機は武蔵藤沢〜豊岡町駅間用(第4種)、そして、当該2機に共通の解錠用鍵が1個備えられていて、この鍵を閉そく機に挿入してタブレットを取り出すのであるが、この鍵は、タブレット閉そく機が定位(閉そく扱いをしていない。引手は閉そく機に収まっている。)にあるときでなければ取外しができず、2機のうち、常にどちらか1機のみ使用されることになり、安全が保たれる旨、解説されています。

 これによれば、当時は、下原貨物駅から直接、飯能方面へ行く、または飯能方面から直接、下原貨物駅へ入る貨物列車は、想定されていなかったのでしょうね。 

 さて、豊岡町駅の連動図表ですが、連動表の鎖錠欄は、片鎖錠のオンパレードですね・・・(汗)。どなたか、掲示板で解説していただけるとありがたいのですが・・・(汗汗)。

 

 

(2)その後の豊岡町駅

 昭和40年生まれの私の小学生時代の記憶では、西武池袋線の入間市駅は、2面2線の相対式の駅で、所沢〜飯能間の駅の中では、面白みのない駅でした。ですので、今回の配線略図は、単線時代とはいえ、貨物の副本線や側線があり、初見、かなり意外感がありました。 

 上に書きました昭和40年4月1日以降、3面4線の特急停車駅になるまでの主な動きを列挙してみますと、

昭和40年 4月 1日 武蔵藤沢〜豊岡町(入間市)間 自動閉塞使用開始

昭和41年10月29日 豊岡町(入間市)〜飯能間   自動閉塞使用開始

昭和42年 4月1 日 豊岡町駅を入間市駅と改称

昭和43年11月13日 武蔵藤沢〜入間市間複線運転開始

昭和49年 4月28日 ホーム稲荷山公園方へ100m移転

昭和49年 4月29日 新駅舎使用開始(橋上駅舎)

昭和49年 9月 1日 手小荷物取扱廃止

昭和50年 3月20日 入間市〜仏子間複線運転開始 

平成 5年 9月14日 構内改良工事完成使用開始(2面4線プラス特急ホーム1面)

平成 5年12月 9日 特急電車の停車駅に入間市を追加

といった感じになるでしょうか。年表からはわかりませんでしたが、複線化までに、貨物副本線や貨物側線がいつ頃廃止されていったのか気になるところです。

 

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