国鉄 函館駅

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(1)函館駅配線略図 昭和20年代か?

 ウィキペディア「函館駅」の「JR北海道 函館駅」の「歴史」の項目を参考にしますと、1945年(昭和20年)に「GHQの専用列車のため0番線設置。」、1955年(昭和30年)に「函館埠頭(後の中央埠頭)埋立工事に伴い、函館駅所轄臨港鉄道・埠頭専用線 (1,088m) を敷設。」とあります。下の図面では、0番線が存在し、中央ふ頭はまだ存在していないようですので、昭和20年代の図面ではないかと推定しました。

 

<2023(令和5)年5月9日追記>

 掲示板 https://senrozu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8317070#17802960 の方で、akaさんから、下図面上の扇形庫の右側にある「函館重油タンク株式会社」が昭和24年4月?に三菱石油に合併された、と解釈できる記載のある下記の2ウェブページをご教示いただきました。ありがとうございました。

https://www.mitsuwa-shokai.co.jp/2-03enkaku.html

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj1966/30/3/30_3_39/_pdf/-char/ja (こちらはpdfファイルが開きます。pdfファイルの7ページ目(45ページ)の9〜12行目に関連の記載があります。)

 昭和24年4月以前に作成された図面である可能性があるようです。

<以上、2023(令和5)年5月9日追記>

 

 イカロス出版から発行の「蒸気機関車 Explorer vol.31」に所収の記事

「鉄の馬と兵ども〜蒸気乗務員回顧録 第12回 函館本線・江差線・松前線 北の玄関口を守る函館機関区 椎橋俊之」

の中、90〜91ページに、「函館駅構内配線略図 1953年(昭和28)年7月10日現在 資料所蔵/今井 弘」が掲載されているのですが、その図面と下の図面とは、非常に類似していますが、転車台・機関庫あたりの記載方や、前者には「浅野岐線」の記載がある一方、後者(下の図面)にはない等々の違いあります。

 

 また、上記のウィキペディアによれば、函館〜五稜郭間の複線化は、1942年(昭和17年)12月27日とのことですが、図面を見る限りにおいて、常用閉そく方式は、「双信閉そく式」だったと推察できると思います。

 

 ところで、図面上、「船入澗(ふないりま)」という設備がみられますが、これは「大型船が接岸できるふ頭がつくられる以前、港湾荷役の中心だった艀(はしけ)による貨物の積み降ろし場」だったようです。(※)

(※)ブログ「小樽図鑑(樽タルビュー) 小樽のちょっといい所を紹介」から2014年10月16日19:33投稿の記事

「日本郵船 船入澗跡」

http://otarumania.blog.fc2.com/blog-entry-102.html

の説明を引用させていただきました。 

拡大版(ファイルサイズ 3.71MB)

 

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