国鉄 丹荘駅

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(1)昭和33年(1958年)3月現在 

 高崎鉄道管理局の折本式線路図からの抜粋です。図面左側で「場内信号機」の文字が消されたようになっていますが、廃止されたわけではなく、かなり古い資料のため折り目の部分が焼けていて、それがスキャナーで読み取る際に残ってしまったものです。悪しからずご了承ください。

 「上突込」線は、鉛筆でバツ印が記されていました。いつ頃廃止されたのかは定かではありませんが、この折本式線路図に記されている信号機や構内線路の新設や廃止に関わる通達年月をみますと、昭和43年頃まで使われていた線路図であることがわかりますので、遅くとも、その頃までには、廃止されたのではと思われます。

拡大版(ファイルサイズ 489KB)

 

 この駅では、やはり日本ニッケル株式会社線が気になりますが、この鉄道に関しては、ネコ・パブリッシング発行の

「RМ LIBRARY 41 日本ニッケル鉄道―上武鉄道開業から終焉まで―」(高井薫平著)

に詳しくまとめられています。

 またこの書籍には、三宅俊彦さん所蔵の1980年代の配線略図(構内図、連動図表からの配線略図と推察される)も収められています。上武鉄道に興味がある諸兄におかれては、必携の書といえるでしょう。

 また小学館発行の国鉄全線各駅停車シリーズの第4巻「関東510駅」には、昭和58年4月末日基準の線路配置図が収められていますが、上図と比べても線路配置にそれほどの変化はなかったようです。

 上図と違うところといえば、「下り4番線」が「下り3番線」同様に、児玉方へ延長されている点でしょうか。同書の本文を読みますと、当時、その線には多くの解体待ちの貨車が留置されていたそうです。

 これと関連しますが、1980年代に、上武鉄道の終点、西武化学前構内で、多くの国鉄車両が解体されたことは有名ですね。鉄道ジャーナル誌1984年4月号・125ページに掲載されている「トップ・アングル」第二部佳作に入選した「死の道」と題する、薄暗い林の中を抜けていく上武鉄道線の本線線路の写真(昭和58年11月4日今井俊秀さん撮影)は、非常に印象的であった記憶があります。 

 上武鉄道線の廃止は、昭和61年12月31日ですが、会社は運送会社として平成10年まで存続します。私も一度、山手通りを走る「上武鉄道」のトラックを目撃したことがあり、その時まで会社が存続しているとは知らず驚いたことがあります。

 

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