国鉄 北小金駅 と 武蔵野操車場工事材料授受線

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(1) 国鉄 北小金 昭和42年 (1967年) 3月現在 

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(2) 国鉄 北小金 昭和47年 (1972年) 1月現在

 昭和46年(1971年)4月20日の国鉄・常磐線・綾瀬ー我孫子間複々線開業後、かつ、武蔵野線開業前の配線略図です。なお、緩行線にはATC進路が記載されています。

(ATC進路 管内線路図(常磐線) 昭和47年1月 東京北鉄道管理局より)

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(3) 北小金駅 武蔵野操車場工事材料授受線

 昭和47年1月現在の上図面にある「授受線」とは、武蔵野操車場工事のための諸材料を鉄道輸送するために設けられた側線で、

「武蔵野操車場建設工事誌」(昭和52年3月 日本国有鉄道 東京第三工事局)の

第6編 工事施行 

 第5章 軌道 

  4 工事用諸材料輸送計画と実施 321ページ〜330ページ

に、その詳細が記されています。

 それによると、この側線まで、軌道材料として、道床砕石(バラスト)やマクラギ、レール、分岐器用品等が貨物列車として輸送され、そこから先は、大型モーターカーで貨車を牽引し、現地まで工事材料が運び込まれたとのことです。

 軌道工事の初期に必要となる道床バラストは、当初、武蔵野操車場建設予定地には在来線との接続がなかったため、常磐線藤代駅及び馬橋駅まで鉄道で輸送し、そこからはダンプトラック輸送で現地に運び込む方式がとられたとのことです。

 しかし、ダンプトラックによる市街地の陸送には制約があり、所定量の輸送を確保することが困難となり、鉄道輸送のため、建設公団が施行した武蔵野東線を利用する以下の4ルートが検討されたとのことです。

 (注)武蔵野線の建設は日本鉄道建設公団が担当。一方、武蔵野操車場の建設は国鉄が担当。

1、北小金ルート 上図の授受線を設置し、北小金駅から武蔵野操車場まで大型モーターカーで貨車けん引とする輸送ルート。

2、馬橋ルート(流山電鉄経由) 建設公団専用の貨車授受のために設けられた仮停車場(幸谷)を利用する。

3、馬橋ルート(現在の武蔵野線馬橋支線を利用)

4、大宮操ルート 

 上記のうち、3,4はルート案検討時は困難とされ、2は昭和46年6月19日〜9月30日まで利用され、そして、1の北小金ルートについては、昭和46年10月〜昭和48年1月末まで利用されたとのことです。

 北小金ルートの列車については、田端操発の臨時列車(9000番台の事業用列車)が仕立てられ北小金まで輸送、また、その運行図表から、空車は北柏まで行き折り返していたようです。バラストに関しては、初狩、日光、小野上から田端操車場に運ばれたとのことです。

 この北小金駅の連絡設備は、昭和48年4月の武蔵野線開業により北小金駅が馬橋駅扱いのCTCとなるため、その切換工事のため、昭和48年1月末で打ち切られ、以後は、武蔵野操車場の上り着発線の一部を使用開始し、武蔵野線開業までの期間は、各種試験車並びに線見訓練用機関車とともに、上記3にある馬橋ルート(馬橋支線利用)により、武蔵野操車場構内に直接、貨車を搬入した旨の記載があります。

 工事誌には、当時の武蔵野操車構内・授受設備の解説があり、それを引用すると、

「構内運転扱いとしては、1番線を上り到着、2番線を側線に、3番線を機廻り、4番線を下り出発とした。列車扱いは、使用開始線、(授受線を含む)は駅扱いとし、授受線から貨車の入出区は大型モーターカーけん引とした。」

とあり、参考に挙げさせていただく下図とほぼ一致するのではと思われます。

(参考) 武蔵野線開業後の武蔵野操車場駅における工事材料授受線

  拡大版 (ファイルサイズ 553KB)

 そして、工事誌には、この設備により、昭和49年2月まで、軌道用諸材料及び道床バラストの出入れが行われたとの記載があります。

 蛇足になりますが、上図の2組のダブルクロスを構成する分岐器のうち、7基は常時鎖錠された状態になっておりますが、到着、貨車解放、機回し、空車連結、出発は可能な線路配置、分岐器構成になっていたことがわかります。

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