国鉄 取手駅

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 私の母は、長野県出身であることを篠ノ井駅のページで書かせていただきましたが、私の父は、茨城県取手市出身で、取手駅は、子供のころから現在に至るまで、よく利用している駅の一つです。

 

(1) 昭和42年 (1967年) 3月現在 

 本屋側にある電留線は、その有効長から、すでに10両編成の通勤電車に対応していたのでしょうか。

 このころはまだキリンビール取手工場(昭和45年6月完成)の専用線はなく、トワイライトゾーンマニュアル5(ネコパブリッシング)所収の昭和42年版全国専用線一覧表をみますと、取手駅の専用線については、石油製品を販売する「(株)宇田川商店」の専用線0.2kmの記載があるだけです。またこの専用線、入れ換え作業などは、関東鉄道所属機によって行われていたようです。

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(2) 昭和47年 (1972年) 1月現在 

  構内線路の線路呼称が、線路名称から線路番号主体になりました。またキリンビール専用線もできました。途中にある「宇田川専用線」は、トワイライトゾーンマニュアル2(ネコ・パブリッシング)所収の昭和50年版全国専用線一覧表には、すでにその記載がなくなっていますので、使用されたのは比較的短期間だったのかもしれません。

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(3) 昭和56年 (1981年) 3月現在 

 線路配置が、2面4線と貨物副本線・側線となり、常総線との線路の接続もなくなりました。また線路番号が3番線から振られており、取手までの複々線化(緩行線の延長)を見越したものとなっているようです。

 この当時、7番線から上り方面へ出発はできませんから、キリンビール専用線関連の貨物列車は、北柏方面より、取手駅7番線に到着し、帰りは、藤代寄りの渡り線で5番線に入り、北柏方面へ戻って行ったと考えられます。

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 その後、緩行線が取手まで到達し、1面2線の島式ホームが設置され、さらに、昭和59年2月の貨物取扱廃止で、貨物列車用の副本線・側線が撤去されて、現在のJR取手駅の配線になると書きたいところなのですが、貨物廃止までの間に、貨物列車用の副本線に関係する配線変更がもう一度行われます。その配線変更後の図面が、(4)昭和60年3月現在の図面になります。

(4) 昭和60年 (1985年) 3月現在について 

 現在(2016年8月10日)のところ、私(KASA)の手許に原本はありませんが、ネットオークションを通して時折頒布されているPDF化された国鉄時代の線路図集には、昭和60年3月現在の線路図(折本)が含まれています。その線路図を参考に、上図を加筆修正したものが、下図となります。原図では、当然、緩行線も記載されておりますが、ここでは省略させていただきます。

 東京寄りにシングルスリップで構成された渡り線が設備され、7番線から上り方面へ進出できるようになりました。一方、岩沼寄りにあったシングルスリップは撤去されています。どうしてこのような配線変更が行われたかは不明ですが、私にとって、この東京寄りのシングルスリップが、非常に印象に残っております。

 この当時、キリンビール取手工場からの貨物列車による出荷は昭和59年2月で廃止されたと思っていたのですが、昭和60年3月の図面からは、まだ線路は残っていたようです。

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