国鉄 下新田信号場 

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 f54560zgさんのブログである「懐かしい駅の風景〜線路配線図とともに」の2018年5月9日 (水)の記事である「北藤岡配線図」

http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-166e.html

のコメント欄で、3RT生さんが書かれている「自動化された幹線からの分岐から1区間だけ、通票を持たない区間」に、非常に興味を持ちまして、私もその話題に乗せていただこうと思いました(汗)。

 手許にあります資料の中から、上記のような区間に関連する線路配置図を紹介していこうと思いますが、このような区間の抜き出しは、昭和53年3月現在の「鉄道 線路図 運転計画用 日本国有鉄道運転局」所収の「国有鉄道閉そく方式一覧図」を参考にしました。

 そして、当ページでは、国鉄 足尾線の下新田信号場〜相生間を紹介しようと思います。この区間は、単線自動(A)区間の両毛線から1区間だけ連動閉そく式区間として分岐する区間です。なお、他の線区・区間については、こちらの目次からどうぞ。 

 昭和53年3月現在で、足尾線の常用閉そく方式は、

下新田〜相老  連動閉そく式

相老〜足尾   通票閉そく式(タブレット閉そく式)

足尾〜足尾本山 通票式   (スタフ閉そく式)

でした。一方、両毛線は、すでに全線、自動閉そく式(CTC区間)でした。

(以下、2019年2月11日追加訂正)

 3RT生さんから情報をいただきまして、下新田ー相老間の連動閉そく式施行は昭和43年8月8日とのことです。(参考図書 「轣轆114 昭和62年3月31日 高崎鉄道管理局発行)3RT生さん、貴重な情報をありがとうございました。

(追加訂正ここまで)

(1)昭和33年3月現在

 まずは、両毛線も栃木〜前橋間の常用閉そく方式が、通票閉そく式だった時代の線路図です。桐生方の遠方信号機が、両毛線、足尾線、それぞれの場内信号機に対して建植されている点が興味深いですね。

 ちなみに、両毛線は、この時代、小山〜栃木間の常用閉そく方式が連査閉そく式、前橋〜新前橋間のそれが連動閉そく式(昭和33年12月12日施行)でした。このことは、またページを改めて記事にしたいと思います。

(以下、2019年2月11日追加訂正)

 「鉄道信号発達史」(社団法人 信号保安協会 昭和55年4月23日発行)の巻末年表によれば、両毛線・小山〜栃木間の連査閉そく装置使用開始は、総武本線の千葉〜佐倉間とともに、昭和36年7月16日で、これらが本邦1号にあたるそうです。

 また、3RT生さんから情報をいただきまして、前橋〜新前橋間の連動閉そく式施行は昭和33年12月12日とのことです。

(追加訂正ここまで)

拡大版(ファイルサイズ 296KB)

 次に足尾線の下新田〜大間々間です。相老での東武鉄道・桐生線との絡みも興味深いところです。昭和40年代中頃までは線路もつながっていたようですね。この時代は、下新田〜相生間も、通票閉そく式であったようです。

拡大版(ファイルサイズ 299KB)

 

(2)昭和53年3月現在

 両毛線は、昭和43年10月に、小山〜新前橋間がCTC化されており、常用閉そく方式も自動化されたようです。単線区間は、途中に閉そく信号機がある単線自動(A)という方式ですね。

 昭和33年にはあった足尾線の下り出発信号機がなくなりましたね。当時の高崎局の規程を読みますと足尾線の場内信号機1103Lは、故障時に出発信号機とみなす場内信号機だったようです。


拡大版(ファイルサイズ 204KB)

 さて、下図の下新田〜相生間が、冒頭で書いた「自動化された幹線からの分岐から1区間だけ、通票を持たない区間」となります。相老〜大間々間は、通票閉そく式となります。

 当時CTC化されていた両毛線の運転取扱については、高崎局のCTC運転取扱基準規程に規定されていて、残念ながら手許にないため、その内容(特に、下新田での運転取り扱いの範囲)はわからないのですが、足尾線の下新田〜相老間の閉そくの取り扱いがどのように行われていたのか興味深いところです。

拡大版(ファイルサイズ 526KB)

 

(3)桐生駅高架化前後 1985年頃?

 今回、図面を抜粋しました昭和53年3月の線路図には、桐生駅と下新田駅に差し替え図面が添付されており、下新田の方は、電留線などが整備された時の図面が添付されていましたので、そちらも以下にご紹介します。

 足尾線の下り出発信号機があらたに建植されていますね。

 図面の桐生方に入換信号機971Rの進路表が記載されていますが、この入換信号機は桐生駅に所属するもので、桐生駅高架化後には図面上みあたらないので、桐生駅の高架化(完成使用開始は、昭和60年10月16日、ウィキペディア「両毛線」より。)に先立って電留線が完成していた可能性もあります。

 ところで、ウィキペディアの「下新田駅」と「下新田信号場」には、桐生界隈の鉄道のきれいな線路配置図が掲載されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/下新田信号場#/media/File:Rail_Tracks_map_of_Kiryu_-_Omama_Area.svg

 「下新田信号場」の項目には、「信号場内に連絡線を設け、東武線をJR桐生駅まで乗り入れさせる構想がある。」とあります。誰の構想なのか興味深いところですが、これが実現すれば、「SL大樹」が桐生でスイッチバックしてわたらせ渓谷鉄道線に乗り入れるなんてことも、まんざら夢物語ではないのかもしれませんね。

 桐生駅については、また別のページでご紹介したいと思っております。

拡大版(ファイルサイズ 293KB)

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