国鉄 隅田川駅

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(1) 隅田川駅構内略図 昭和31年 (1956年)11月19日現在

 東京鉄道管理局調製の隅田川駅構内略図からです。当時の隅田川駅には、三ノ輪、橋場(はしば)の2か所の信号扱い所があったようです。

 「橋場」(はしば)の名前は、隅田川駅附近の旧地名からきているようです。隅田川駅付近の旧地名については、右記URLのブログに説明がありますので、興味のある方は一読されることをお薦めしたいです。http://araken-nan.jugem.jp/?eid=139

 大きな図面ですので、分けて紹介します。ご了承下さい。

 また、連動表が図面上に掲載されていますが、図面上の線路配置図(配線略図)の方は、連動図表に掲載されていたであろう配線略図と同一のものであるか不明です。すなわち、線路配置図・図面上の記号などが一部省略されている可能性もあると思われます。

 連動表上に記載がある、三河島駅、南千住駅所属の「てこ」や「軌道回路」についてですが、南千住駅については残念ながら同時代の(連動図表の)配線略図が手元にありません。一方、三河島駅に関しては、2016年に当HP掲示板の三河島駅のスレッド( https://senrozu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7090423 )にてつ様が投稿して下さった「三河島駅連動図表」を参考にしていただければと思います。たいへん貴重な資料を公開して下さったてつ様には、この場を借りて、改めて深く感謝申し上げます。

 連動表の記載から、当時の隅田川駅に設備されていたと推定される「第1種電気機連動装置」ですが、当該連動装置が設備されていた停車場の連動図表(配線略図、連動表)の記載方については、

「連動装置の種類(昭和27.6.9 総裁達307) 連動図表調整心得(昭和27.6.9 総裁達306)」

を参考にされるのがよいと思われます。また、これらの心得については、「鉄道CAD製作所」様のサイトからたどりつける「鉄道史料保存団 新ぜかまし文庫」様のサイトの「線路」のページで閲覧できる

「図解最新保安装置 昭和27年7月30日初版 昭和28年3月15日訂正再販 交通研究会」(資料提供 km_207様) 

の巻末に収められております。私も大いに参考にさせていただきましたので、この場を借りて、km_207様、上記サイトの作成者様には深く感謝申し上げたいと思います。

 

A 隅田川駅 三ノ輪信号扱い所 

 まずは三ノ輪信号扱い所からです。南千住・隅田川〜三河島間が旅客線(複線)、貨物線(単線)が三線化される前は、ここで、隅田川駅への貨物線が分岐していました。

 私のサイトの「南千住駅」のところに掲載してあります運転用線路図との比較から入換標識3の配線略図上の記号が入換信号機の記号となっていますが、これは間違いかと思われます。

 連動表下の切れてしまっている部分は、「橋場」なのではないかと推定されます。

拡大版(ファイルサイズ 1.25MB) 連動表の部分のみ拡大版 (ファイルサイズ 0.93MB)

 配線略図上、転てつ器の番号は、中括弧({ })で括られていませんので、三ノ輪信号扱い所が操縦する転てつ器の転換に「動力転轍機」は設備されていなかったようです。

 一方、これら転てつ器に対する連動表の番号欄の番号をみると、てこ番号(13、15)は、中括弧({ })で囲まれています。

 もちろん、これは意味が違っており、「第1種電気機連動装置」が設備された停車場の連動図表において、

配線略図上の転てつ器の番号を中括弧({ })で囲む場合は、当該転てつ器に「動力転轍機」が設備されていることを示しますが、

連動表の番号欄の番号を中括弧({ })で囲む場合は、「機械てこに電気鎖錠器を附したもの」を示します。

 すなわち、常磐線の本線上、旅客線と貨物線を分ける場所の転てつ器を、当時はまだ、機械てこで操作していたということになります。

 

 「第1種電気機連動装置」が設備された停車場では、転てつ器は機械てこで操作し、信号機、入換標識は、電気化して電気てこで操作するというのが一般的だったらしいのですが、転換回数が多い転てつ器などには、「動力転轍機」が設備されることもあったようです。その場合は、当該転てつ器は「電気てこ」で操作されることになるので、その転てつ器を示す連動表の番号欄の番号は、丸(〇)囲みとなります。(「機械てこと電気てこを混用しているときの電気てこ」を示す。)

 当時の隅田川駅では、このような例はありませんが、上記書籍「図解最新保安装置 昭和27年7月30日初版 昭和28年3月15日訂正再販 交通研究会」の第157図に、複々線化前の常磐線・松戸駅と思われる停車場の連動図表があるのですが、そこには、配線略図上、中括弧で括られた転てつ器番号をみることができます。(その他、第157図をみますと、駅と電車区との構内運転区間に「方向てこ」が整備されていて、松戸駅と電車区との間に「単線自動閉そく装置」が設備されていたこともわかります。もし、第157図の例題が、実際の松戸駅の連動図表と全く同じだったとすれば、すなわち、教科書・参考書向けに一部修正してある連動図表ではないとすれば、興味深い図面だと思いました。)

 

 

B 隅田川駅 橋場信号扱い所

 三ノ輪信号扱い所と同じく「第一種電気機 甲」となっていますので、設備されている連動装置は、「第1種電気機連動装置」ということになります。

 まず、連動表の番号欄の番号からみて、転てつ器は、すべて「機械てこ」で操作されていることがわかります。

 一方、信号機については、配線略図上の記号から、第一出発信号機39、40(A,B,C)のみ電気信号機化されており、他の信号機は、腕木式信号機で残っています。(第一出発信号機39、40(A,B,C)の配線略図の記号が示す「色燈式・多燈形」の信号機については、記号の誤記でなければ、「電気式」のみとなっており、機械式の信号機ではありません。

 興味深い点は、電気信号機化されている第一出発信号機39、40(A,B,C)に対する連動表の「番号欄の番号」をみると、その番号が、丸(〇)囲み(「機械てこと電気てこを混用しているときの電気てこ」を示す。)にはなっていないことです。

 連動表の「番号欄の番号」をみますと、39と40は、中括弧({ })括り(「機械てこに電気鎖錠器を附したもの」を示す。)となっています。これは、番号欄の番号に附す符号の誤記でなければ、これらの電気式信号機も、電気てこではなく、電気鎖錠器を附した「機械てこ」で操作されていた事を示しています。

 電気式信号機を「機械てこ」で操作することが可能なのか? もし、可能だとして、「第1種電気機連動装置」において、そのような例があり得るのか?ということが疑問だったのですが、上記書籍「図解最新保安装置 昭和27年7月30日初版 昭和28年3月15日訂正再販 交通研究会」からは、電気式信号機を「機械てこ」で操作することは可能であり、特殊ではあるがそのような実例もあったようだということが読み取れます。 

 もちろん、だからといって、隅田川駅でそうであったと断定はできず、ここから先は推測でしかないのですが、当時の隅田川駅の橋場信号扱い所に設備されていた「第1種電気機連動装置」と呼ばれていた連動装置というのは、

「連動装置の種類(昭和27.6.9 総裁達307)」の 第4條(連動装置の種類)(5)第1種電気機連動装置 の 

(注)1「第1種機械連動機に電気鎖錠器を設け、これにより信号機、入換標識等を操縦する場合は、第1種電気機連動装置とする。」

に相当する連動装置ではなかったと思われます。これについては、上記書籍「図解最新保安装置 昭和27年7月30日初版 昭和28年3月15日訂正再販 交通研究会」の「 第3編 連動装置、第6章 連動図表の見方、第5節 第1種電気機甲連動表の見方」の本文207ページの4〜6行目にも、「勿論特殊な場合として、第1種機械連動機の機械梃子に電気鎖錠器を取付け電気信号機を操縦する場合や、信号梃子に卓上電気梃子を使用する場合等がある。」との解説があります。

 

 さて、お待たせしました(汗)。ごたごたと私の解説にもならない文章が長すぎたようです。

B〜A 隅田川駅 橋場信号扱い所 図面(1)

 常磐線の南千住駅の場内信号機と思われる信号機が描かれていることがわかると思うのですが、当時の南千住駅には「下り副本線」があったのでしょうか?気になるところです。

 また、南千住からの貨物線のキロ程「0k122.00」地点の「遠方信号代用手信号現示位置」って気になりますね。連動表からみると、南千住方から折返線への第一場内信号機「5」に対する遠方信号機は設備されていないようなのですが・・・。

 

 連動表についてですが、「第一種電気機 甲」の「甲」となっていますが、橋場信号扱い所の範囲内で、図面上、軌道回路は設けられているようにはみえませんので、「丙」が正当なのではと思うのですが・・・??。

 あと、「転てつ器 及 鎖かん」を操作する「機械てこ 35」に回路制御器が附されている(連動表の番号欄の番号が「やまかっこ < >」で囲まれている。)のは、電気化された第一出発信号機(40B、40C)の操作が1本のてこ(40)で共用されていること、その現示に関連する「転てつ器 35」が機械てこで操縦されているためのようです。

 私の手元にある「連動図表調整心得解説 雑賀 武 著 社団法人 信号保安協会 昭和23年12月15日発行」の71ページの4〜7行目を引用させていただきますと、

「信号梃子を共用した場合に何れの電気信号機に信号を現示するかを選別する転轍梃子が機械なる場合には之れに回路制御器を附さねばならぬが、斯る場合に<>の符号を附するのである。」

と説明されております。

拡大版(ファイルサイズ 3.07MB) 連動表の部分のみ拡大版 (ファイルサイズ 2.95MB)

B〜B 隅田川駅 橋場信号扱い所 図面(2)

 隅田川から運河が引き込まれ「船渠」(ドッグ)があるのが印象的です。

 日本石油 隅田川油槽所へと続く専用線が運河を渡るところの橋が可動橋になっています。これについては、三井住友トラスト不動産のサイト「写真でひもとく 街のなりたち 東京都 千住」の「3:交通の要衝」の2段目「明治期かの歴史を持つ『隅田川貨物駅』」のところにの写真と解説がでていますので、興味がある方は一読されることをお薦めしたいです。https://smtrc.jp/town-archives/city/senju/p03.html

 この可動橋を「掩護」する保安設備は、安全側線だけのようです。本線であれば、掩護信号機などが設備されるところでしょうか。 

 図面右上にある各有効長表ですが、南仕訳線については、配線略図上の訂正を反映していないようです。当時、設備改良工事が進んでいたのでしょうか、南仕訳線群の部分には、新しい線が記入されていたり、訂正紙が貼られたりしていることがわかります。ただ、私の手元にあるのは、原版ではなく、カラーコピー版なので、その訂正紙などをペロリとめくって(汗)、その下をみることなどはできません・・・。

拡大版(ファイルサイズ 3.14MB) 図面右上 有効長表の部分のみ拡大版 (ファイルサイズ MB)  

B〜C 隅田川駅 橋場信号扱い所 図面(3)

 日石専用線、隅田川用品庫、石炭埠頭、さらにその下の「トラバーサー」と記されている3本の側線は、東京ガス千住工場の専用線のようです。

 図面上、用品庫の上半分は、「地下鉄に売却」と鉛筆で書かれています。

 図面右下端、隅田川が「大川」と記されていますね(汗)。江戸時代であっても、吾妻橋周辺より下流を「大川」と呼んだそうなので、厳密にはこれは間違いなのかもしれません。

拡大版(ファイルサイズ 1.96MB)

B〜D 隅田川駅 橋場信号扱い所 図面(4)

 上の図面では位置関係などがややわかり難いのですが、用品庫のほうへも運河が引き込まれていたようです。地図をみながら、コピー・ペーストでちょっといじった図が下になります(笑)。

拡大版(ファイルサイズ 1.89MB)

 

 

 

 以下の三図面は、折本式・線路図に掲載されている隅田川駅の配線略図です。

 折本式・線路図に含まれる隅田川駅の配線略図は、一部構内線路等が省略されている場合があります。

 隅田川駅に限らず、多くの大規模停車場において、構内線路のすべてに関して省略されていない図面を参照したい場合には、当該停車場の大判の配線略図(連動図表の配線略図)や構内図、構内略図にあたらなければならないでしょう。

(2) 昭和42年 (1967年) 3月現在

 船渠(ドック)がまだある時代のものですね。

拡大版(ファイルサイズ 2.16MB)

 

(3) 昭和47年 (1972年) 1月現在

 船渠(ドック)がなくなりました。

拡大版 (ファイルサイズ 2.02MB)

 

(4) 昭和56年 (1981年) 3月現在

構内線路が一部省略されています。

拡大版 (ファイルサイズ 2.85MB)

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